作文帳

6分前

帰り道

いい一日の帰り道はこれだっていいものなのです。

 

 電車に並ぶ背の低い女の子と男の子。お互いこれでもかって吸いつくように見つめあって、私はちっとも羨ましいなんて思っていないけれど、彼らを見るしかなかったのです。幸福そうな女の子と目が合ったけれどすぐに男の子の目に戻って行った。あの吸引力は、私相手には使えないみたい。

電車の向かいに立っている女の子。ボブヘアに黒い大きなヘッドホンしてカーキのモッズコートとジーンズ。黒い斜めがけのなよなよしたバッグ。たぶんあの子カネコアヤノ好きだろうな。カネコアヤノのライブにはあの子がたくさんいた。わたしもカネコアヤノのライブにあの子がたくさんいると知るまであの子みたいな格好したいなって思っていたのです。不思議なもんです。カネコアヤノが好きなだけで服装の好みも同じなのです。なんかつまんないなって思ったところでもあります。私は本を読みました。さっきブックオフで買ったやつ。

 

営業時間を過ぎた花屋にはちらほらピンクの薔薇の花束やまんまるい花とか四角い花とかが残っていて、私はそれらを無償でうちに迎え入れたくなる。ミモザを買うつもりだったのに、もう季節を過ぎたのかしら。宇宙に生えるブドウみたいな黄色のポップなお花はどこにも見当たらない。

 

ドラッグストアにマニキュアを買いに来た。薄水色の、少しきらきらしたのがほしかった。繊細な薄氷みたいなの。「アールグレイ」とか「チャイ」とか、美味しそうなネーミングにつられて他の色のを買いそうになった。色は同じなのに、素敵な名前がついてると買いたくなってしまうのは私がバカな女だから?それともセンスのいい女だから? ちゃんと私は買い物の際に元々の意思を尊重する大事さを知っているので、初めから欲しかった薄水色のきらきらしたのを買いました。いつだってあの人が脳裏にいるので、あの人と明日は話せる予定なので。爪だってきらきらに整えるのです。

自転車を漕ぐけれど寒くていけない。早く家につきたい。おまけに電動チャリのバッテリーは0%。なぜか普通の自転車よりずっと重い。

今日は髪を切った。前髪をたくさん切った。

かみ、きりましたね

はい、かわいいですか?

そんな会話を想像して1人微笑む。夜は寒いが星がいてくれる。星が見えてきた。私の心にはいるのだ星が。お腹はあまり空いていない。お昼においしい脂の乗った鰻を食べた。ふわふわしてとける食べ物を初めて食べた。まだまだ私は美味しいものを知らないのだと、この世界はまだ知るべきことに満ちていると、楽しい気分であります。なんて前向きなのでしょう。夜なのに。昼降り続いた雨が止んでいたからか、黒い帽子が寒さから守ってくれているからか、でっかいふわふわの犬とすれ違ったからか、髪の毛がとぅるとぅるだからか、明日あの人に会えるからか。

 道端に止めた黒い車。男が女の首に抱きついて項垂れる。ほんの少し見えただけなのだけど、たぶん女は早く帰りたいと思っていたのが私にはわかったのです。私は1人で寂しいなあと思うけど、あんなふうに運転の途中に車を止めてまで男に首に抱きつかれるような状況の渦に飲み込まれるエネルギーがあるでしょうか。いや、ない、というわけです。けれどそんなエネルギー、向けられてもみたいわけです。たったひとりの私に。

 赤信号で停まらされる。解決してないあれやこれやを思い出す。青信号になれば忘れる。だからいつまで経っても解決しないまま。そんなもの抱えたまんま、家にたどり着いて、自転車の鍵かけた途端にまた思い出したけど、空を見上げたら大きな月がこの世の支配人みたいに、珍しく私をじっと見据えていたから、早く家の中に入ろって焦って、すぐ忘れた。いいのよ、そういうのってさ忘れないとやってらんないんだから。忘れるために、美味しいもの食べたり好きな音楽聞いたり、してるわけでしょ? 心の中に棲まわせている老齢の女性、すなわちおばあちゃんが穏やかな顔でお茶啜りながら呟く。私はそれに頷いて玄関のドア開ける。玄関はせまいけど、私やっていける。